長嶋茂雄ロード構想も「ビッグネームすぎて、どこから手を付けたら…」10年後にまさかの急展開

72年1月12日、大仁で自主トレに励む長嶋さん
長嶋茂雄さん(享年89)が現役時代に自主トレを行った静岡・大仁(おおひと)町(現・伊豆の国市)には「読売巨人軍 長嶋茂雄ロード・ランニングロード」(総延長7・5キロ)がある。発案から誘致を経て、2016年の完成まで関わった金子佳史さん(69)が思いを語った。 金子さんは“長嶋ロード”に面した場所で洋服店を営んでいる。「ここで仕事をしているとね、団塊世代の人たちがカメラを持ってよく通るんです。『聖地巡礼』じゃないですけど。(6月3日に)亡くなった日もすぐ来ていたし、今も見かけますよ」。小学生の頃、長嶋さんの宿泊ホテル近くでサインを書いてもらい、今では少し変色した色紙を見つめた。 ロード設置の構想は02年までさかのぼる。周辺市町と合併する3年前。伊豆半島北部にある大仁町商工会のメンバーで、地元活性化を話し合った。神奈川・茅ケ崎市には加山雄三やサザンオールスターズの名を付けた通りがある。「うらやましいな…。うちは著名人が出てないな」。そんなボヤきが出る中、金子さんは子どもの頃の記憶から長嶋さんの名前を挙げた。企画書なども用意したが「ビッグネームすぎて、どこから手を付けたらいいのか分からない」と手つかずになっていた10年後、話は急に動き出した。 12年7月、地元選出の国会議員が長嶋さんと試合観戦する機会があり、そこで“直談判”するとOKが出たのだ。その議員から電話がかかってくると、話し相手は長嶋さんに代わった。「大変光栄な話です。ぜひ、進めてください」。伊豆の国市や巨人軍と調整を進め、16年3月の完成セレモニーにこぎつけた。 同年5月4日、長嶋さんは42年ぶりに大仁を訪れた。伊豆箱根鉄道・大仁駅には「長嶋さん お帰りなさい」の横断幕が掲げられ、立ち寄ったゆかりの場所には大勢の人が集まった。「ロード設置で夢がかなうとは、という思いでした。まさか、ご本人が来てくれるとは」。金子さんをねぎらうように、富士山がくっきり見える場所で関係者がツーショット撮影をしてくれた。 「ロードができた時、メンバーの後輩に言われたんです。『一過性で終わらないようにしないといけませんね』と。看板が色あせたら替えるとか、今後も整備を続けていかないと」。その思いが伝わったように、狩野川沿いの「ランニングロード」では市民が走ったり、ウォーキングに励む風景が日常になっている。(武田 泰淳) ◆長嶋ロード 「長嶋茂雄ロード」は定宿にしていた大仁ホテルから、ミスターを見るために多くのファンが訪れた地元商店街などの約1・5キロ。「長嶋茂雄ランニングロード」は大仁橋から狩野川沿いを経て、標高342メートルの城山(じょうやま)まで駆け上がった約6キロ。
報知新聞社