川勝知事のこと
辞意表明した川勝知事が初出馬した15年前、表明から投票日までわずか30日。
出馬表明の日の夕刻に沼津の秋山機器で第一声。
社員の皆さん、秋山佳彦社長の知人友人100人を超えた即席決起集会にたいへん意を強くした。
選挙中は栗田歯科医院でダウンして寝ていた事もあった。
懸案だった東海大学沼津校舎跡地や富士山世界遺産登録(後日裏話を書きます)に取り組み、
伊豆半島担当副知事を置き、コロナワクチンでは伊豆の観光関係者に接種場所の便宜を図った。
伊豆や県東部に多大な関心を持ち知事に感謝することも多い。
ユーモアやウイットに富み、大言壮語と思えた川勝節にも夢も感じた。
ただ期数を重ねるにつれ、敵をつくる言動が繰り返され、『言葉は政治家の武器だが凶器ではない』と耳に痛い意見をしたこともあった。
公人の評価は様々であることは当然。
しかしわたし個人は、誰とどのように別れる時も、去っていく人には愛情とねぎらいの気持ちで送りたい。