昨日、前原誠司・元国土交通大臣らと日本航空安全啓発センターを訪問しました。

日航ジャンボ機墜落からことしで30年経ちますが、いまもご遺族の傷は癒えてはいません。

センターには墜落機体の一部、犠牲者の遺品や極限の恐怖で書かれた家族への遺言(写し)も展示され、胸詰まる思いでした。センターにはJAL全社員は当然、JRなど他社も研修に訪れ、安全意識を徹底しているとのこと。

500名を超えた乗り合わせた人と遺された家族の人生を一瞬に奪った惨事は二度と繰り返されてはなりません。

成長戦略、競争活性化の中であっても、利益よりも安全を優先する企業風土が土台に無ければならぬことを噛み締めて政策立案に生かしてまいります。

*この123便は伊丹へ向けて羽田を飛び立ち、東伊豆町の沖合で圧力隔壁が破損し、管制塔との緊急事態のやり取りは下田から河津、松崎上空で交信されていました。

駿河湾に抜けて焼津沖で旋回し、操縦不能になりながら山梨、群馬方面へ飛行しました。

伊豆上空の機影をときどき目にすることがありますが、当時、伊豆上空での異変を見ていた方がいたのかもしれません。

郷土の上空で30年前の8月12日、緊迫した状況があったことを忘れてはなりません。

合掌。